夫の里帰りと母校来訪。

久しぶりに夫の故郷へ。以前から、夫の両親に少しは顔を見せろと催促されていたのですが、仕事が忙しいのと、過去2年くらいはコロナを理由に伸び伸びになっていました。

まぁそろそろ足を運ばんといけんなぁ、とは思っていましたので、有給消化のためにも、思い切って決行。

夫はアメリカの真ん中らへんにある、小さな小さな町の出身で、この町にある、これまた小さな小さなカレッジで、夫と私は出会いました。町の人口は2万人以下。カレッジの全校生徒は1500人程度。学生は勉強かスポーツくらいしかすることがない、田舎の町です。白人の多い地域ですが、大抵どの人もとても親切で、お話好きで、世話焼きで、典型的な古き良きアメリカの田舎…という感じ。

久しぶりの義理両親はとっても嬉しそうで、来てよかったなぁと思いました。
実家って、時間の流れがゆったりとしませんか?食べて、のんびりして、テレビ見て、また食べて、のんびりして。何とまあ、まるで牛のような生活。

母校のカレッジにも、久しぶりに再訪。当時とっても良くしてもらった教授とは今でもたまに連絡を取っていて、久しぶりに会って話が出来ました。色々とアップデートされていて、田舎ながらに、なかなか環境の良い大学だと思います。日本人がほとんどいないので、英語も上達しやすい…はず。
卒業して、もう8年くらいか。当時は本当に毎日が困難の連続でしたが、今思えば、楽しかった思い出ばかりです。私は日本の大学に2年くらい通ってから、アメリカの大学に編入、その後2年半くらいかけて卒業しました。元々は通っていた日本の大学と交換留学を行っていたカリフォルニアの大学へ留学がしたかったのですが、なんせ費用が高すぎたのと、そこまで成績もいいわけでもなく、挙句の果てには英語のスコアが思うように伸びなくて、諦めざるを得ませんでした。

どうしてもアメリカへ行きたかった私は、アメリカ人で私の受けていたゼミの教授に相談。すると教授から、カリフォルニアや交換留学に限定するな、アメリカには何千もの大学があって、チャンスは至るところに転がっているものだ、と言われたのを今でも覚えています。

そうして留学斡旋会社を通して見つけたのが、この小さな田舎のカレッジなのでした。
英語のスコアぎりぎりでしたが、外国から来る学生向けの、学費の半分をカバーしてくれる奨学金を受ける事ができ、計画していた半年間限定の留学ではなく、日本の大学から編入という形で、私のアメリカ生活は始まったのでした。色々と迷惑ばかりをかけたのに、全く反対することなくサポートしてくれた両親には感謝しかありません。大人になってようやく分かる親のすごさってありますよね。

今考えてみると、大学受験の時になぜアメリカの大学を選択肢に入れていなかったのかが不思議です。当然のように日本の大学を受験して、日本の大学を卒業して、日本の会社に勤めるのかと思っていました。チャンスは至るところにあると、当時の私の視野を広げてくれた教授には本当に感謝しています。

でも、日本の大学にも通っておいて良かったなとも思います。日本の大学の授業やサークル、飲食店や学習塾でのアルバイトなどの経験もしていたので、アメリカに来てから異なる文化を色々な視点で感じることが出来ました。

夫は昔ながらの友人たちと集まれて、嬉しそうでした。2日目くらいからはなんと雪が降り始めて、久しぶりの銀世界を楽しみました。まぁ~景色は素敵なのですが、とにかく寒い。。学生時代、この極寒の中どうやって生き延びたのか、どうしても思い出せません。着こんでも着こんでも、凍てつく寒さ。。

最後の日曜日は、お家で朝から家族とカードゲーム、ご飯、テレビ、ご飯、団らん、ご飯、という極上牛コース。

ちょっとばかり体重を増やして、私たちのバケーションは幕を閉じたのでした。

まだ現実に戻りたくありませんな~。実家最高ですな~。お金もあまりかからないし。
次のバケーションはどうしようかしら。

さて、気合を入れなおして、今週からも頑張りましょう。

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